Aldo Bakkerの作品を見た時に、繊細なフォルム、脆さと危うさが入り混じったフォルムに何も考えられずに唖然としていた。触れただけで壊れてしまいそうな、もしくは消えてしまいそうな、自立しているのかとさえも不安になる形状に、危機感(魅力?)を感じた。
特異なフォルム、これまでの見たことがなかったシルエット、頭像で色々と想像してみても、重なりそうで重ならない、宙ぶらりんな状態のまま、それでもこの不思議で魅惑的なフォルムに、視覚で見る以上の触れたい、使ってみたい、といったもっと原始的な体験、また異なる空間でのそのものの質の変化や、光に対して落ちる影、それらを確かめてみたいという気持ちで買ったのが3年前。
手に取り、感触をとおすことで、チャイナボーンでできた硬く滑らかな質感と、実際に触れた自身の手が、まるで一つの有機体になるような一体感を感じる時さえある。
水を入れてみる。虚無だったものの中に水が含まれると、そのフォルムと全く同じ水の物体が、視覚的には見えないけれど、重みと水の音で確かに感じとることができる。とても当たり前で、普段の生活で何度も起きていることが、アルド・バッカーの作品を通して、新鮮で神秘的な事象として起こりうる。
あれから3年経っても未だに色褪せず、派手さや目立つ要素はないが、それでもその異質で有機的なフォルム、そして使用することで得られる感覚が、心を落ち着かせ、ときには果てしない想像力を沸き起こす。
バッカーの作品は、アートとして類似、認識されてしまうほど、それぞれの作品がもつ実用性が、視覚をたよりにすると削がれているようにみえる。一般的な機能性を超え、何かを加えて、ときには与えることにより、オブジェクトとして認識する以上に、本質的にユーザーに何かしらの動きを与える役割があるようにみえる。アートのようなプラトニックな関係の美しさ、プロダクト的な機能性を超えた存在として、日常では体験できない可能性や人の感覚、時間の流れ、抵抗を提示している。

HOP STEP

Porcelain series (Water Carafe, Milk or Oil can, Vinegar Flask)


Glass Line
